2023/03/30 13:43
皆さんこんにちは。
お守りと言霊で皆の心に光を灯したい
【お守り言霊カウンセラー】
てまり神社の祈り人の
☆天道虫(しろぼしてんとうむし)です。

この美女は…
草場一壽さんの陶彩画コノハナサクヤヒメさん(写真はポストカードですが…)。
美しすぎて…
ため息がでるほど…。
我が家の神棚に
イワナガヒメさんと一緒に飾ってあり
毎朝ご挨拶しています。
このコノハナサクヤヒメさんの陶彩画についての草場さんの解説がとても心に響くのでご紹介します。要約すると伝わり方が変わるので、草場さんの言葉をそのままご紹介させていただきます。せびご一読ください。
必ず、あなたのなかの神様が震えます。
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●コノハナサクヤヒメの神話世界
イザナギ、イザナミの子とされている一柱がオオヤマズミノカミで、山の神です。この神は、山に宿る神というより山そのものであり、山が司る様々な働きを表してしているのだろうと私は感じています。
山は、雨や雪で水を蓄え、その水はゆっくりと河川に流れ、鉱物のミネラルや腐葉土の貴重な栄養分を平地へと運んでくれます。二千年以上も同じ場所で、連作障害も無く稲作ができているのは、日本にこうした山々の働きがあるからなのです。
そのオオヤマズミノカミの娘が今回取り上げるコノハナサクヤヒメであり、ニニギノミコトが天孫降臨の際、あまりにも美しい人に出会ってしまったと恋をして、求婚されるお相手です。
オオヤマズミノカミもこれを非常に喜ばれ婚姻を認めるのですが、姉のイワナガヒメも一緒に嫁がせます。ところが、ニニギノミコトは美しいコノハナサクヤヒメだけでよいと、醜いイワナガヒメを追い返してしまいます。
その結果、何が起きたか。
オオヤマズミノカミは怒り、ニニギノミコトにこう告げます。「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすれば、命は岩のように永遠のものとなり、コノハナサクヤヒメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたのだ。コノハナサクヤヒメだけと結婚するならば、命は木の花のようにはかなくなるだろう」。
美しさとは儚いものであり、コノハナサクヤヒメとは木の花のような一代の栄華。一方でイワナガヒメはいのちそのものであって、循環という永遠のいのちの象徴です。それを追い返してしまったため、これを境に人間には死というものが与えられるのです。
さて、この神話は、どいうことを教えているのでしょう?
例えば、磁石の棒にはS極とN極があり、「S極が好きだから」と真ん中から切るとします。すると、その瞬間に、また切ったところにN極ができ、S極とN極の両極ができます。どんなに真ん中を切り続けても、どんなに小さくなっても必ずS極とN極ができるのです。
このように、好きな部分と嫌いな部分は常に一体であり、本来割れないものを割ってしまったところに、死ということが生まれた。本当は丸ごと受け取らなければいけなかったわけです。
「これが良い(美しい)、これが悪い(醜い)」というのは、あくまで物質の世界のことだという気がします。五感を通して「見えている世界」は、この物質の世界にすぎないと思うのです。
では、本当の世界は何だろうと考えた時、「物」を突き詰めていくと、 10億分の1メートル以下の分子の世界となり、この分子をさらに割っていくと原子があり中性子と陽子(原子核)、さらにその周りに電子が回っています。 原子核の周りを電子が飛び交って回っているという構造は、太陽のような恒星の周りを地球のような惑星が回る構造と似ています。さらに20世紀を目前に発見されたのは、10のマイナス19乗ミリ以下と言われてる極小の世界、素粒子でした。
「物」と私たちは一言で言っていますが、実はその中には宇宙と表現できるような無限の空間が広がっています。
五感では単に物体に見えるだけですが、実際は超高速で動いている=波動(エネルギー)の世界です。それが真実であり、「神の震え」とでも言うべきものです。
これこそが真実であるのに、目に見える「物」の固定的な観念の世界に囚われ、本当は「神の震え」であるということを忘れてしまっているのです。
コノハナサクヤヒメとニニギノミコトの神話は、まさにそのような人間の姿のはじまりのお話ではないかと思います。
本来一体であるのに、心と物質を分けてしまったという誤り。見えない神様の心の響きが万物をつくったことを忘れて、目に見えるものだけを頼りにする価値観。
そんなことを神話から感じます。私たちのそうした姿を投影した世界がまさに難題を抱えているのですね。
「今こそ、我々自身が神そのものの響きであり、自分の内側にその神の世界を抱いていることを思い出しましょう」ということをメッセージとして描いたのが、このコノハナサクヤヒメの絵になります。
●自心の外に神はなし
陶彩画で、水辺に佇んでいるのがコノハナサクヤヒメです。その水面に映っている、もう一柱の神様がイワナガヒメです。
コノハナサクヤヒメが水鏡に自分の顔を写した時、水面が揺れていたら、自分の顔も揺れて見えます。本当の姿は映りません。もし、さざ波ひとつ立たない鏡のような水面だったなら、きちんと自分の顔が映るのでしょうね。
本当の自分の姿とは何なのか? ということを、この作品を通し、あらためて考えてもらいたいのです。
常に私たちは五感を通し「物」というものを認識しようとしていますが、神は見えず、神の心の響きも見えません。しかし、神の世界を大宇宙とするなら、自分の本体も小宇宙(魂とも霊とも)です。神の震えに共振し、神の心の響き、そのものなのです。
今、科学の最先端でも、素粒子というものを扱い始めることによって、そういうことがようやく理解されるようになってきました。見る人の心の想念によって、世界はそれぞれ違って見える、というようなことも科学の見地でも言われるようになったのです。
絵の中には桜も描いています。花といえば今の日本では桜であり、コノハナサクヤヒメというと桜とされていますが、ソメイヨシノが日本全国に広がっていった江戸時代以前、その花は梅であったかもしれません。
いずれにせよ、桜自体非常に儚く、満開の時は綺麗ですが、散る時は花吹雪となる、哀れな一面も持っています。そして、散った時から次に花を咲かせる準備もしているのです。
同様に、私たちも肉体を持つ身として、いつかはこの世を卒業します。しかし、神そのものの響きというものが肉体をつくり精神をつくり、いのちは循環することで永遠です。
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見えるものは
いつしか壊れゆくもの。
が故に、大切に感じられるもの。
けれど見えるものは
見えないものから成っている…。
見えないものへの敬愛を大事にしたい…。
コノハナサクヤヒメさんの絵一つから、
たくさんの気づきをいただけます。
心にさざ波がたっていると
大切なものが見えなくなってしまう…
心の水面を穏やかに滑らかにしておくと…
一粒の雫でさえ
波の輪となって
はるか遠くにまで届けることができる。
一つの祈りも
心穏やかであれば
あなたの神様に届きます。
コノハナサクヤヒメさんと対面していると
心が静まり
今あるこの身体に感謝の想いが湧いてきます。
では、てまり神社の天女シリーズ
コノハナサクヤヒメさんのお守りをご紹介します。
じゃじゃーん!

裏側はこちら

桜の可憐さと
富士の雄大さ…
山の豊かな緑…
火のなかで出産をした真っ赤な情熱
コノハナサクヤヒメさんの美しさには可憐さと強さが合間っています。
こちらの天女シリーズはククリヒメさん、セオリツヒメさんに続いて3体目。
天女シリーズではいつものアマテラスさんの神社ではなく、それぞれの女神様がお祀りされている神社にご挨拶にいってからお作りしています。
今回は富士神社(広島)にご挨拶にいってから作りました。





